新着情報
ご挨拶
一乗院は埼玉県熊谷市上之にあるお寺です。
山号は「光明山」(成田山という伝もあります)
寺号は「無量寿寺」で、院号の「一乗院」を通称とします。
真言宗智山派は、京都市東山七条にある智積院を総本山とし、成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山を含めて、全国に3,000余り寺院があります。
山号は「光明山」(成田山という伝もあります)
寺号は「無量寿寺」で、院号の「一乗院」を通称とします。
真言宗智山派は、京都市東山七条にある智積院を総本山とし、成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山を含めて、全国に3,000余り寺院があります。
沿革
一乗院は、中世の成田一族の本拠地である成田村にあって、成田太郎助廣の五男である秋葉七郎に所縁のある寺との伝があります。
この伝によると、開山は大同元年(806)ということになりますが、記録から辿りますと、建長4年(1253)栄泉上人による開山とされています。
ご本尊は阿弥陀如来坐像で、脇侍の観音菩薩立像、勢至菩薩立像と合わせた阿弥陀三尊は、熊谷市の仏像調査の結果、鎌倉時代の作とされており、栄泉上人の開山時期と合致しています。以後の詳細な史料は断片的ですが、江戸時代に入ると「往古より無本寺にて門末四十八寺を数えたり、関東七談林の一つに数えられ徳川幕府より御朱印高参拾石拝受す」と記されています。談林とは、僧侶の修行道場(育成機関)のことで、関東には江戸の四談林、関東の七談林があって、合わせて新義十一談林と呼ばれていました。当時の一乗院は「成田忍(おし)一乗院」と呼称されています。
この伝によると、開山は大同元年(806)ということになりますが、記録から辿りますと、建長4年(1253)栄泉上人による開山とされています。
ご本尊は阿弥陀如来坐像で、脇侍の観音菩薩立像、勢至菩薩立像と合わせた阿弥陀三尊は、熊谷市の仏像調査の結果、鎌倉時代の作とされており、栄泉上人の開山時期と合致しています。以後の詳細な史料は断片的ですが、江戸時代に入ると「往古より無本寺にて門末四十八寺を数えたり、関東七談林の一つに数えられ徳川幕府より御朱印高参拾石拝受す」と記されています。談林とは、僧侶の修行道場(育成機関)のことで、関東には江戸の四談林、関東の七談林があって、合わせて新義十一談林と呼ばれていました。当時の一乗院は「成田忍(おし)一乗院」と呼称されています。
境内案内
境内につきまして、ご案内致します。
本堂
江戸時代に建立された本堂は、幾度となく改修されてきました。現容と近くなったのは昭和6年(1931)から2年間に及ぶ改修以後となります。この時に従来の建坪を大幅に減築して、茅から瓦へ屋根が葺替えられました。また東日本大震災による損壊を受けて、平成24年(2012)に銅板屋根へと改修されました。
山門
昭和41年(1966)台風26号によって旧山門が倒壊しました。以後、民家宅の門を移築し、仮山門としていましたが、平成11年(1999)総欅作りの現在の山門が完成しました。
大涅槃図
縦5,4m、横4,5mの掛軸で、釈迦如来が涅槃に入った時の様子が描かれています。作者、製作年等は不詳ですが明暦2年(1656)に一乗院の什物となったことが記録されています。毎年3月半ばから彼岸明けまで本堂にて公開しています。
駕籠
江戸時代、江戸城や忍城に年頭の挨拶に参上する際に住職が乗った物で、平成15年(2003)に修理を行った漆塗りの駕籠です。前後二人ずつ四名で担ぐ大型のもので、道中の休憩時に使用する湯沸かし器(天秤棒で担ぐ)も保存されています。
年間行事
拝観案内・アクセス
拝観案内
拝観に関する定まりはございません。
アクセス
最寄り駅 JR熊谷駅(約3km,徒歩40分)
寺の近隣に公共交通機関はございませんが、駐車スペースは充分にございます。
寺の近隣に公共交通機関はございませんが、駐車スペースは充分にございます。
真言宗智山派 一乗院 〒360-0012
埼玉県熊谷市上之2891-1
TEL:048-522-4127
TEL:048-522-1553
埼玉県熊谷市上之2891-1
TEL:048-522-4127
TEL:048-522-1553